職歴無し

おい磯野!ブログやろうぜ!

一時保護と悪ガキ

母子家庭と一人っ子 - 職歴無し

多分続きのお話。

何分昔の話なので時間の間隔が曖昧なのはご容赦いただきたい。

 

 

 

家を出てから少しの間は記憶がハッキリしない。ハッキリしないというか、欠けているような感覚だ。

 

どこかの家で1ヶ月ほど居候していたと思う。ドリームキャストで遊んでいた記憶をおぼろげながら思い出せるぐらいで、この時の記憶は本当に薄いのだ。ただ少しの間でも、その家には世話になったことだけは覚えている。

まぁしかし、多少なり事情があるとはいえ転がり込んできたのは他人の子。仮に金銭的な余裕があったとしても、そのまま置いておくのも色々な問題があるだろう。

そういうわけで僕は新しい生活に慣れないうちに、また新しい場所。児童相談センターとかいう若干胡散臭い都営の施設へと預けられた。

児童相談センターの生活、まぁ要は施設の生活である。皆さんはどんな想像をお持ちだろうか。イメージとしてはあまり良い印象ではないんじゃなかろうか。

多分その想像は大体合っている。時間厳守という点では軽い軍隊みたいな、少なくとも当時の僕はそう感じていた。

 

だからといって、それで匿ってくれていた家の人たちを恨んじゃいない。何もなければ死んでいたであろう人間だ。拾ってくれただけでも儲け物にも関わらず、施設に預けて助けてくれたのだ。もちろん今にして思うと、という話だが。とりあえず足を向けて寝られないだろう。住所も顔も思い出せないが、いつかお礼を言いに行きたい。

 

【閲覧注意】

 

施設の生活だが、当然のように起床時間から就寝時間まで予定はギッシリである。中でも異色だったのが糞便の時間だ。コレだけは後にも先にも出会うことの無い習慣だろうと思う。

といってもこの時間は一日に一回だけしかなかった。のだが、この時間というのが朝ごはんの前、つまり起床してすぐである。考えればわかるが、何か食べ物を入れないと基本寝起きの胃腸は動かない。その動かない腸から、時に叫び、喘ぎ苦しみ、更には泣き出し、捻り出すのだ(汚い話ですまない、しかし本当の話)。外で指導員が見張っていて、「早く出せ!」とか言うのだ。無茶言うなよ、生理現象だぜ?なんてガキ共は言い返せない。黙って従うしかないんだが、僕は多分その時泣いていた。ほぼ毎日泣いていた気がする。今思うと本当に馬鹿らしい話だ。

 

閑話休題

 

まぁそういう下らなくも辛い話もあれば、もちろん楽しかった事もあった。それは近しい年の子供達が多かったことだ。それもちょっとしたコミュニティとかそういうレベルではなく、何十人単位で居た。これが毎日顔を突き合わすのだ。それが僕には新鮮だった。

その中で二人気の合う男の子が居た、名前は忘れてしまったが毎日馬鹿をやってその度に怒られていた。女子の部屋を覗きに行ったり(施設では男女分かれていたのだがドア一枚という子供でも突破可能なバリケードのみだった、ドアには女子側にベルが付いていた)、風呂場を泡風呂にしてみたり(その後しっかりばれて風呂掃除、就寝時間は1時間延び、その後3日間は指導員の見張りの下入浴というVIP待遇)、消灯時間後に1人づつ指導員部屋へ行き、何か面白い物を取ってくるという事もやった(最初の一人は煎餅、次に僕が飴玉、最後の一人がやかんだった)。何か問題が起きると僕らのせいにされたし、実際そうだった。

 

そんなこんなでしばらく過ごしていたわけだが、当然長くは続かない。二人はほぼ同じ時期に出て行った。友人(と言えるのか分からないが)が居なくなってしまうという寂しさはこの時知った。当然今まで再開はしていない。二度と会うことは無いだろう。

彼ら曰く、一ヶ月ぐらいしかココにはいられないんだって、と言うことらしい。どうやら一週間ぐらい前になると、別の施設へと行くことが知らされるらしく、そのことも前もって知っていた態度だった。

「お前も出て行くことになったら誰かに伝えるんだからな」

なんて言われた。今もまだこの話は児童間で噂話程度にはなっているんだろうか。

 

そして僕にも児童相談センターとやらを出て行くときが来た。彼らの言ったとおりに来てから一ヶ月ぐらいだった。寂しいとかそういうものは無く、あぁやっと来たんだな、なんて少し楽しみですらあった。新しい出会いみたいな、そういうものに少し中毒みたいになっていたのかもしれない。

施設の場所は都外らしく、自然も豊かでいっぱい外で遊べるねーと言われた。

 

こうして3ヶ月にも満たなかっただろう目まぐるしい家出生活は、新しい施設に預けられることで幕を閉じた。